翻訳家が翻訳学習者に望む点として、英語の本を少なくとも百冊は読んでいて欲しいと書いているのを目にすることがある。百冊という数値にとくに意味があるわけではないが、外国語を学ぶために読む段階を卒業して、外国語を道具として使いこなす段階に進んでいなければ、百冊は読めない。そして、外国語を道具として使いこなす段階には少なくとも達していないと、翻訳を学習しても上達しない。外国語を道具として使いこなす段階には、第一段階で重要だった辞書も構文解析も、ほとんど不必要になる。たいていの文章は辞書を引かなくても読めるようになる。語彙が増えているからだが、それ以上に、知らない語や表現があっても、前後関係から想像がつくようになるからだ。また、構文を解析しなくても読めるようになる。とくに意識しなくても構文が自然に読み取れるようになるからだ。たとえば、仕事のなかで自分の専門分野について書かれた外国語の書類をいつも読んでいると、はじめは辞書を引き引き苦労していても、すぐに慣れてくる。よく知っていることが書かれているし、専門用語ならたいていは知っている。専門用語を中心とするキイワードを拾い読みしていけば、そこに書かれている内容がほぼわかるようになる。日本語で書かれた新聞や雑誌の記事などを読むときなら、たいていの人はおなじ方法をとっている。キイワードを中心に斜め読みしていく。だから、英語で書かれているものを斜め読みできるのは不思議でもなんでもない。